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2016-01/13-NoGenre-文章を書くことと読むこと その1
2016-01-13 Wed 03:53
そういえばここ5年くらいで「藤原」と呼ばれた回数が数えるほどもないことに気づきました、藤原です。
自称「藤原」で他称「tarekiti(たれきち)」、つまり周りからは「tarekiti」と呼ばれながら自分では「藤原」と名乗っている状態であります。特に呼ばれ方にこだわりはないですし、なぜこうなっているのかも謎です。そもそも嫌われ者なので声をかけられることもありませんし。

今回は文章を書くことにおけるあれこれを綴っていこうと思います。
具体的には
・書くこと
・読むこと
・読まれること
について僕の考えを書いてみようと思います。

最近の僕の記事の傾向に倣い、非常に長くなることが予想されますが、よければ読んでみてください。
それでは続きからどうぞ。


◇「文章」について
・記事の動機
僕はインターネットに触れてからネット上に文章を発信することを頻繁に長く行ってきました。
具体的には"ブログ"から始まり、"mixi"、"Twitter"、そして小説投稿サイト"小説家になろう"その他です。
非常に長い期間文章を発信し続けていたことを一度振り返ってみようと思い、今回の記事を書いてみることにしました。


◇文章を「書く」ということ

○ブログについて
・快感あるいはストレス発散に繋がる
僕のブログは基本的に読者がいません。たまに業者らしきアクセスがあるだけです。
なのになぜ僕がブログを書き続けているのか? さすがに僕もあまりのアクセス数の少なさに記事を書くことを無駄に感じたこともあります。しかし書き続けています。
この点を真剣に考えたことはなかったのですが、今回改めて考えてみて文章を書くことが「快感あるいはストレス発散になっている」のだろうと結論付けました。
自分の考えを文章と言う形にしてブログというものに叩きつける。見ている人がいるかどうかを別にして、ブログを書く行為自体を楽しんでいるという意味ですね。

・ネットに公開(発信)する意義とは
別に読み手が関係ないのであればブログと言う形でネット公開する必要もないのではないでしょうか?
Wordやメモ帳を自分のPCの中で作ってそれに綴っていけば良いだけですし、無意味に情報を発信することはリスクすら内包しています。
ですが、そうはなりませんでした。何かしら文章を書く際はネットにアップロードしています。
うまく言葉にはできないのですがネットに発信する形でないと満足できません。Webを開いて文章を打ち込み「投稿」のボタンを押さないとダメなのです。
これについては二つの理由を考えています。
一つは僕が潜在的に「書いた文章を見てもらいたい」という欲求があるということ。もう一つはネットに発信するということで会話に近い効果を得ようとしていること。
後者は「悩みを誰かに打ち明けるとすっきりする」というものの亜種です。自分の思いを不特定多数が見る可能性のあるネットに吐露することでストレス発散を図っているということですね。
自分で自覚はなく、どちらも下品な動機であることが悔やまれますが、冷静に自身を分析した結果このどちらかを僕が抱えていると考えています。


○小説について
・自意識過剰? 承認欲求?
僕が文芸サークルに所属している間、サークルの後輩が彼の友達を勧誘して断られたことがありました。
その友人は文章を書くのを趣味としていたらしいのですが(だから勧誘した)、曰く「文章を書くのは好きだけど、それをみんなに発表する必要はないでしょ」とのことでした。
僕はこの話を聞いて衝撃を受け、同時にこの後輩の友人と同じように考える人は少なからずいるだろうと考えました。
件の彼は「文章を書く・文章作品(小説)を完成させること」は楽しいのですが、それを「他人へ発信すること」に興味がないのです。
一方で僕は後者の比重がかなり大きいと思います。前項のブログのところからもうかがい知れますね。
特に小説については僕が発表していない作品はかなり少ないです。ほとんどの作品は文芸誌・同人誌にしてしまったか、ネットにアップロードしたかのどちらかです。
僕は読んでもらいたいのです。「書くこと」それよりも「読んでもらうこと」の方が嬉しく楽しく重要と感じます。
これは僕自身が自意識過剰であったり承認欲求が強かったりという性格によるものと考えます。


○Twitterについて
・アクティビティを見ても変わらないツイート
最近公式アプリでツイートのアクティビティを見ることができるようになりました。
僕はフォロワーが表示上800人近くいますが、このアクティビティ機能によってツイートの閲覧数を見ると多くて150、少ないときは20くらいで平均80人くらいの数字が確認されました。
この数字は適当にTLを更新して表示されただけ(読んでいない)場合でも加算されることを考えると実際に僕のツイートに目を通している人は結構少ないことがわかります。
そしてアクティビティ機能の内、ツイート内に載せたリンクのアクセス数も見ることができます。こちらの機能はカウントの仕方が不明(Tweenなどのアプリ内でのツイート表示からクリックした場合はカウントされるのか等)なので厳密には言えませんが、だいたい僕のツイートのリンクを辿る人は1,2人ほどのようです。
アクティビティ機能が公式に実装される前からでも、例えば僕のツイートはかなり反応が薄く、リプライ・RT・♡はほとんどありません。
何が言いたいかと言うと僕のツイートは発信されているように見えて、その実ほとんど読まれていないということです。
これについては以前から気にしてはいましたが、具体的な行動に移したり改善されたりするようなことはありませんでした。
であるのに僕はツイートの発信を続けています。これは前項ブログのところと同じようなメカニズムによって僕が文章を発信し続けているものと考えます。

・不明な宛先と意味
Twitter上での僕はブログや小説よりも更に性格・性質がひどく出てきてしまっているように思います。
大多数の人には意味不明なツイートを大多数の人が目にする形で発信していることとなっていると思います。
「何か書くこと自体を面白がり」、「しかもそれを発信せずにはいられない」性格・性質が悪い方に出てしまっているものと考えます。
とはいえ、Twitterというサービス自体が、何かの理由(ジャンルを絞った情報収集・宣伝などの情報発信専用・完全身内のみの連絡用など)で行っている人以外にとっては基本的にそこまで深い意味のない"つぶやき"を発信し合い閲覧し合うシステムですから、根本の理念としては間違っていません。快・不快といった曖昧な線引きのモラルや程度の問題で悪性であるといった結論になると思います。


○総合的に僕の「書く」こと
・本質は「読んでもらう」こと
以上の共通点として
・書くこと自体を楽しんでいるが、それは発信とセットでなければ満足しない
・むしろ読んでもらうことの方が比重が大きい
というのが僕にとっての「書く」ことであることが分かります。
ここでは「読んでもらいたい」という読み手に対する願望がある一方で、書くこと自体を楽しんでいるわけですから「読み手のことを無視している」という性質もあります。
発信をしていながら読み手を度外視し、自分勝手な文章を書いているということになります。
こう書くとマイナスなイメージがありますが、必ずしも「自分勝手な文章=読み手の嫌がる文章」とはなり得ません。逆に読者に好まれる結果になることもあるでしょう。
一応一言添えておくと、根本的なところで読者に対する配慮が欠けているわけですから、好かれるよりも嫌われる傾向にあることは容易に想像できます。
とりあえず僕の書く文章は読者を度外視した自分勝手な文章である、という結論になりました。

少し不安なので付け足しておきたいのですが、別に僕は意図して読み手を不快にさせるような文章を書いているつもりもありませんし、むしろできる配慮はしていきたい所存ではあります。
僕の性格・性質から導かれる文章の書き方、あるいは書かれた文章が上記の通りの性質を持っている、というお話です。
……もう何かこういう記事を書いていること自体がザ・配慮の欠落って感じがしますが、とりあえず今回は気にしないでおいてください(汗)。

・僕以外の人にとっての「書く」こと
今まで長々と書いてきた通りが僕の「書く」ことであり、僕が僕によって書かれた文章に求めることでした。
逆にそれ以外の「書く」ことについては全く想像ができません。「自分が楽しいから小説を書くがそれを他人に発表することは憚られる」という後輩友人の気持ちがいくら頭を捻っても理解できません。
なので残念ながら僕以外の人が文章を「書く」ことについて一般的に論じることはできそうにありません。
僕にとっての「書く」ことをここに記して、それを読んだ各々の参考としてもらうのが精一杯のようです。


○ツールとしての文章
ここまで読んであまりしっくりこない人も多いと思います。
それというのはおそらく、僕がそもそも文章を書くことのみを抽出してお話をしているからだと思います。
文章と言うのは基本的にツールです。何か伝えたいものがあり、それを伝える手段として用いられるものです。

僕は文章が書きたいから文章を書くことをしています。が、普通はそうではないと思います。
みなさんは何か伝えたいこと・残したいことがあって、それを残す手段の最も適当なものとして「文章を書いて」いるのです。
他により適当なものがあれば、絵でも写真でも動画でもいいのです。また伝えたり残したりするまでの必要性を感じなければ文章を書かなくてもいいのです。
なので僕の「書く」こととは少し質が違うのではないかと考えます。



ここまで読んでいただきありがとうございます。
内容が歪ですが、これは続く「読むこと」「読まれること」の前提的な話なのでこうなってしまいました。
後半の方が本番で今回一番伝えたい部分なので、この記事がよくわからなくてもそのまま読み飛ばして後半に行ってもらえると幸いです。

さて、またしても異様に長くなったのと疲れたのでその続きというのはまた今度にしようと思います。
それでは失礼します。

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